夢見る乙女。こう聞くと自分に何の実体験もないのに、心の中に甘さが漂ってくるような想いがする。男と女、また年令によっても感じ方は違うだろうが。このような乙女は今や希少価値に属するのか、いやいや捨てたものじゃない、というものか。
イチゴから作った「夢見る乙女」というワインがあるそうだが、とても甘いのだろうか。少し酔ったかなぁと思っている間もなく、その酔いは儚くも消えてしまうようなものだったら、ちょっと淋しいかもしれない。
オイオイ、昼間っからボーッとして何を考えているんだい、と声が聞こえたような…
覚醒しながら放心状態で願望を充たすような空想に浸るのが白昼夢だろうが、能動的な心の持ちようであって、睡眠中の夢とは根本的に異なる。十歳代半ば頃が多いらしいが、大人でも珍しくはないようである。そういえば井上陽水の「少年時代」は、『夢が覚め』『夢花火』『目が覚めて夢のあと』と、意味深長な夢の歌と思えるのだが、少年の白昼夢ではない。
ところで、日本人は夢に悲観的イメージを持っているのだろうか。
秀吉の辞世にあるのは「なにわのことも夢のまた夢」とある。平家物語の冒頭には「おごれるものはひさしからず、ただ春の夜の夢のごとし」とあり、ここでは春がニュアンスを増幅させている。いずれも儚さの象徴である。
夏になっても日本人は変らないようで、松任谷由実の「真夏の夜の夢」は恋の終わりである。
しかし、日本人でなくなると話しは変わるのかもしれない。
シェークスピアの「夏の夜の夢」は喜劇であり、それをうけたメンデルスゾーンの曲はテンポ良く明るい。構成12曲の一つがあの結婚行進曲といえば、「夢のまた夢」の世界とはまったく異なるのが分かる。
あれやこれや考えていると、自分が作曲家だったら…、シンガーソングライターだったら…などと、またあらぬ想いが出て来て、それが願望に近いまでになったりすれば、それこそ白昼夢であろう。
玄関のチャイムが鳴った。出てみるとマスク姿の宅配便の方であった。
夢見るオジさんの「真夏の昼の夢」はあっけなく消え去ってしまった。 |