小説「ノルウェイの森」「1Q84」などで世界中にファンを持つ作家・村上春樹が単独インタビューに応じた。出演するラジオ番組への思い、疫病が世界を覆う今だからこそ「ポジティブなものを作り提供する」芸術の責務などを語った。
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2018年8月からDJを務める「村上RADIO」(TOKYO FM、全国ネット)は、公の場にあまり姿を現さない作家の印象を一変させた。自ら音楽を選び、自分の言葉で語る。4月から念願だったレギュラー化(毎月最終日曜、夜7時)もかなった。
「しゃべるのは得意じゃないと思って、ものを書く以外の仕事はしなかった。でも外国で講演したりしているうちに慣れてきて、試しに(DJを)やってみたら割にすらすらしゃべることができた。それで『じゃ、やろうか』と。僕はレコードコレクターで1万5000枚ぐらい持っている。『こういう音楽があるんで、聞いてください』という感じで企画を出していたら、どんどんアイデアが出てきた。2、3年分の番組が(自分の中では)もうできている」
「ほとんど趣味です。僕は文学的環境の中にいたからラジオ局に来るとちょっと変わった人がいっぱいいて、雰囲気が違うし面白い。年の半分ぐらいは外国にいたので、(新型)コロナ(ウイルスの流行)がなければレギュラー化は難しかった。日本にずっといるということもあって月に1度ぐらいならできるかなと。月イチ以上だとものを書く仕事ができなくなっちゃう。本当は週に1度ぐらいやりたいんだけど」
ラジオは「親密でパーソナル」なメディア
かつてジャズ喫茶を営み、今も音楽のリズムで文章を練る。そんな村上はスタジオにターンテーブルを持ち込み、レコードに針をのせる。DJの伝統を継承しつつ、現代らしい番組を探る。
「今はインターネットでいくらでも聴きたい音楽を聴ける。(ラジオに)リクエストする意味はほとんどないんです。送り手が自分で音楽を選んでかけるセレクトショップのようなものの方に意味があると思う。だから原則としてリクエストは取らない。僕の書斎に来て音楽を聴いてもらうような親密な感じを出したい。他の番組ではかからない音楽をかける、というのがポリシー。それから僕自身がもちろんそれ(音楽)を好きなこと、というのが(前提として)あります。3回に1度は『こんなものがあったのか』と(リスナーを)驚かせたい」
「世界は悪くなる」に歯止めを
番組ではコロナ禍にも言及した。突発的な疫病との見方にとどまらず、「グローバル化」や「気候温暖化」「SNS(交流サイト)の普及」「ポピュリズムの台頭」「貧富の差の拡大」などと同様に世界を変える要素ととらえた視点は印象深い。
「例えば100年後に今を思い出すとしたら、それらの要素が一緒に来て絡み合っていた、という気がする。僕が一番心配なのはこの状況で若い人がどう感じ、どんなふうに変化していくのかということ。良くも悪くもなる可能性がある。少しでもポジティブなものを作って提供していくのが小説家やラジオなどの役目、責務だと感じる」
「僕が10代のころは世界はよくなっていくと思っていたが、今の10代は悪くなると思っているようだ。少しでもそういうものに歯止めをかけていかなければならない。だからポジティブなメッセージで楽しい音楽をラジオでかけたい。コロナの前と後で世の中は変わると思う。コロナが終わり孤立していた若い人が結びつこうとするのか、孤立したままなのか。どうなるか心配している」
「リアルな世界とリアルじゃない世界がどう絡み合っていくか、というのが僕の小説の1つのテーマで、僕の書くものはリアルと非リアルがごく普通に内在していて、とんでもないことが起こるというのは織り込み済み。僕の小説が外国で受け入れられるのは、東西統一で混乱していたころのドイツやロシアなど、ある種の混乱期にある地域なんです。そういう意味ではリアルと非リアルが同時に存在する僕の小説は、(こうした人たちにとって)暗示的なメッセージになっているのかなという気がしなくもない」
小説とは「親切心」だ
デビューから42年。小説家の根本は「親切さ」との考えは変わらない。
「(外国作品の)翻訳なんて親切以外の何ものでもない。なぜ僕が翻訳を好きかというと、親切さを出せるから。少しでも分かりやすい日本語に訳そうとするのは、親切心がなければできない作業です。日本語で書く小説も、難しい言葉や気取った言葉を使わないようにしている。それでもちゃんと書けるからね。それで足りるんです。確かな地盤だと思ってきたものが、確かではなくなる時期がある。僕が小説に書こうとするのはそういうところ。基本的なスタンスは全く変わらない」
母校の早稲田大学に10月、国際文学館(村上春樹ライブラリー)が開館する。「物語を拓(ひら)こう、心を語ろう」という村上の言葉を掲げる。 |