(未病総研ニュース2021年4月号より転載)
今年も楽しみにしていた大河ドラマがはじまった。題名は「青天を衝け」、モデルは渋沢栄一。コロナの時代に元気を与えてくれる人物であると期待している。
頃は19世紀末、彼は驚くことに約480社もの会社を興し、明治の時代を大きく切り拓き羽ばたかせた。銀行、ビール会社、帝国ホテル、清水建設などの骨幹産業の礎を創ったばかりで無く、その後、日赤や聖路加病院の設立にまで力を貸しているというから驚く。江戸社会から現代にも通用する大経済社会を一代で創り上げたと言っても過言では無いであろう。
社会が回るには経済的担保が整わなければならない。コロナ禍の現在それが身に染みて理解出来きる。渋沢は徳川昭武に従いヨーロッパを歴訪するチャンスを得、1867年のパリ万博を見学し、近代資本主義のノウハウをつかんで来て日本に応用した。まさしくポスト江戸からニューノーマルの明治への架け橋となった人物である。しかし彼が取った政策は単なる西洋文化の直輸入では無い。社会の発展には経済がモノを言わねば成り立たないが、その基盤にあるのが倫理感、道徳感であるとして重んじた。それが著書「論語と算盤」であり、成功を導いた骨子が書かれている。ポイントは「買い手よし、売り手よし、世間良し」の三方両得の精神であり、今で言うSDGsに繋がる。76歳の時である。
もし彼が現在に生きていたら、このパンデミックを起こした新型コロナに如何に対応したであろうか。全世界での経済的損失は既に1000兆円を優に超えるとされる。少子高齢社会ではこれ以上の財政支出は求められない。
実際、Go to travel、Go to eatへの急発進と緊急事態宣言の急ブレーキで右往左往させられた。「命か経済か」の二者択一しかなかったのか。どちらも「帯に短し襷に長し」の掛け違いに翻弄された。
新型コロナの厄介なところは「自覚症状の無い時期から他人に移す」特徴である。これまでの病気の概念からは想定外であったのは確かである。だから新型コロナをめぐっては当初から「恐ろしい疫病か、単なる風邪か」の両極端に別れた。この状態に対して臨機応変的に適切な対応が取れなかったのが混乱を拡大させた。こんな時、柔軟な渋沢栄一なら即座に「未病」の概念を提唱したに違いないと思う。未病という自覚症状の無い時期のとり扱いを国民にもっとよく浸透していれば、コロナを「悪玉の未病」として粛々と対応し制御しやすくなったはずだ。やることはマスク着用に手洗い励行、それにソーシャルディスタンスを取ること、これだけを真面目にすれば実効再生産数を0.5以下に下げられ、かなり早期に収束する。基本的な未病対策である。白黒をつけるのにPCR検査至上主義が先行し、これを運用するのに手間暇がかかり時間を取りすぎた。未病の概念を理解していればもっと柔軟に対応ができたに違いない。
「患者よし、医療よし、社会よし」を念頭に置けば、ストレスも軽く済み、お金もそうかからず身体をキープすることができる。
今後、少子高齢社会で安心安全の医療の提供を維持していくには「そろばん」も大事である。2025年には国民総医療費は65兆円に跳ね上がる。この「そろばん」と相性が良い未病を国はもっと推進すべきと考えられるがいかがなものか。
いずれポストコロナの時代は訪れる。その時には未病を軸とした未病産業社会が興隆し繁栄していると考えられる。渋沢栄一翁ならきっと「やりなはれ」と応援してくれると確信している。
(一般社団法人 日本未病総合研究所 代表理事 福生吉裕) |